
せっかく長い時間をかけて交際し、お互いの親族にも認められて結婚はしたものの、「こんなはずではなかった?」「想像しているものと違った」「こんなことする人とは思わなかった」など、様々な理由で離婚を意識する方も珍しくないと思います。ただいきなり離婚するにも経済面や学校などの教育面など、多様な観点から決断するには時間がかかります。その前に「別居し、落ち着いて考える」ことがあると思います。今回はその「別居したい」「別居したくなった」理由についてまとめてみました。
1・育児について協力がまったくないーワンオペ育児ー

なかなか子供ができず、不妊治療などを受けて夫婦で子供を授かる努力して、やっとの思いで子供を授かることができました。これでより一層夫婦、子供を入れて家族が一致団結して幸せな家庭を築けると思っていたさなか、出産をして自宅に帰ってみると、夜泣きやおむつ交換など寝る暇がないくらい大変です。夫は大手外資系企業のため、出張も多く、平日も夜遅くに帰ってきて疲れ果てています。私は産休をとっていてお休みですが、夫の仕事の大切さや家庭の大黒柱として頑張っている姿に偽りはないので、ずっと平日くらい疲れをとってもらおうと子供の面倒は一手に引き受けていました。休日もゴルフなど多趣味な夫ですが、子供ができてからは変わるだろうと思っていたが、全く変わらず、気づいたら平日から土日、祝日もほとんど家にいない生活になっていました。
さすがの私も「もっと子供と接してほしい」「子供と公園でも行こう」と話すのですが、「忙しい」とソファーでゴロゴロするだけ。そんなことが3か月も続いたとき、私がインフルエンザにかかり、子供の面倒を見れなくなったとき、代わりに夫に相談したのですが、「やりかたがわからない」「仕事で忙しくしているから、子供の対応はいつも家にいる君の仕事だ」となり、泣きながら実家に戻りました。
それを機に実家にいて別居しています。夫からのLineはたまに返すのみで、謝罪の言葉もありますが、この先この人と子供と3人で生活していくのは無理だと思って、離婚も検討しています。
2・家庭より宗教に依存してしまう

私の夫は15歳上の人で、彼が40歳の時に結婚しました。周囲の男性より気配りができて、やさしく年齢も15歳上なので、聞くことを何でも知っている知識人と思っていて、相談したら回答も的確、私の友達の評価もすごく高く、全く悩むこともなくトントン拍子で結婚に至りました。私の両親にもすごく配慮してくれて最高の夫を手に入れたと心の底から思っていました。
しかし、一点だけ気になることがありました。両親と週に1回、ある会場に行って、講演を聞いていることです。雨の日も風の日も、熱があったり体調が優れなくても必ずその日のその時間は特定の会場に行っています。年に2~3回、東京や大阪の大都市の会場にも行っていました。私はどこかの地元の名士の方の講演でも聞いていたと思っていたのですが、どうやらそれは少し違っていました。
結婚して同居して生活するようになって1か月くらいした時、相変わらず夫は決まった日に会場に向かっていました。それから帰ってくるとおもむろに私に話してきました。「君と結婚できたことは本当にうれしい。これも○○様のお陰だ。夫婦になったので次からは是非一緒に行こう」この時にそういう団体に入っていることに気づきました。ただ、素晴らしい、絶対に人生がよくなると言われたので無下に断ることもできず、また夫が崇拝しているなら私も理解しておきたいと共に会場に行きました。
会場に行くと異様な雰囲気で皆一人の方を中心に正座をして頭を床につけてお祈りをしているのです。その衝撃的な風景に私は全くなじめず、気持ち悪いとトイレに入りその場をやり過ごすことにしました。毎週、毎週、夫からお祈りに誘われますが、体調不良や予定を理由に断り続けていますが、それも限界で、いよいよ夫も怒り出しました。「自分が良いと思っているから愛する妻と一緒に行きたいのに、どうして理解してくれないのか?」初めて厳しい口調で夫から言われたので、私も驚きと同時に落胆してしまいました。そしてもう無理だと、姉の家に転がり込みました。そこから怖くなってしまい、夫の連絡に出ることができなくなってしまいました。医者にかかりアドバイスを求めると、今は距離をおいて別居して心を落ち着かせようとなりました。そこから今にいたるまで別居が続いています。
3・パーソナリティ障害になってしまった夫

パーソナリティ障害とは「人格障害」とも言われていますが、決して性格が悪いということではなく、極端に偏りがある考え方をしてしまい、他の意見を柔軟に受けれ入れることができなかったり、臨機応変に対応できず、頑なな対応をし続けてしまう状態のことをさします。
不信感や猜疑心が強く、私が出かけると色んなことを詮索されたり疑われたり、急に起こったと思ったら、急に優しくなるという感情の起伏が激しく、近隣とも上手な関係を築けず、家では悪口ばかり。おかしいと思って医療機関への受信を促すのですが、暴言を吐かれて終わってしまう。最初の数年は我慢したのですが、気づけば私の心はボロボロになっていて、夫に怯える毎日になってしまいました。
ある時同窓会があり、親友に再開して相談したら、「それは家を出たほうがよい」とアドバイスを受けました。もうその時は考える頭も無かったので、言われたときはそんなことできるわけないと考えてしまっていましたが、それを気に役所の相談窓口などで相談し始めると、この状況がおかしいと気づきました。今は夫に隠れて自分で家を借りて、弁護士さんを通してしか連絡を取らない様にしています。仕事は自分で続けていたので経済的にも自立して自分で生活しています。今気づけば本当に酷い生活をしていたと思い、今の自分の生活が楽しくて仕方ありません。離婚に向けて準備を進めていますが、別居したことが本当に良かったと思える毎日です。
4・夫がギャンブル依存症だった

もともと夫とは財布は別で、生活費を共同の口座に振り込む様な形で生活していました。共働きで3歳になる子供が1人いる家族です。基本的に食費や家賃、水道光熱費など日々の生活はお互いで半分になるように振り込み、お互いの趣味にお金を使える、周りからは理想の夫婦と呼ばれるくらい金銭的に自由度がある家族です。ただ、お互いの年収が高いわけではなく、贅沢なことをお互いが好まないので、趣味にお金をかけることでバランスをとっていました。ただ、貯金といえる様なお金はなく、毎月の給与をそのまま使っている状態でした。
あるとき、夫が車を売ると話してきました。夫の趣味は車で数年で乗り換えていました。次に新しい車でも買うのかと思っていたら1か月たっても新しい車の話がでてこなく、買い物などちょっとした出かけることに不便を覚えていたので、「新しい車は買わないの?」と聞くのですが、返答があやふやにされてしまい、よく分かりませんでした。そんな中、アパートの大家さんから電話があり、家賃が数か月振り込まれていないとのこと。毎月共同の口座から家賃を振り込むのは夫の役割なので問い詰めると借金があることが発覚しました。
その総額は2千万円を超えるとのこと。理由はパチンコや競馬、そしてキャバクラなどの交際費でした。特定の女の子と良い関係になっていたことも知り、離婚の二文字が頭をよぎりました。ただ、結婚するまでの交際も長く、私も妻として結婚した以上、覚悟もあったし、何より子供がかわいそうだと、一緒に返済に向けて頑張っていこうと決意をしたのですが、電気もとまり、保育園代も使い込んでいたり、どんどん嘘が明るみになり、当初聞いている金額の2倍上の借金があることが分かりました。また、友人からの借金の督促連絡も多く、子供の生活にも影響を及ぼすと思い、家をでて実家に帰ることにしました。
ただ、夫のことが大嫌いになったわけではないので、立ち直ってまた一緒に暮らせればと思っています。
上記以外でも夫の暴力や暴言(DV)や子供が成人したタイミングで別居してみるなど、様々なケースがあります。あなたの人生は一度きりです。過去には戻ることはできず、変えていけるのは未来だけです。一人で悩まず、誰でも良いので相談してみてください。
離婚相談パートナーは悩めるあなたの味方です。